ドッカイ!

傍線部Aでぐるぐる巻きにしてやろうか!

【意外によかった!】打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?を読解!

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「え、めっちゃいいじゃん!」と思いました。

酷評されてるから退屈覚悟で行ったのですが、様々な描写や演出から読み取れる主人公像が、自分の思春期とバチーン!と重なり、大共感でした。

 

「僕はこう観たけど、みんなはどうだったんだろう?」ということをネットの海に投げ込みたく、はてなブログ初投稿です。どきどき。

ちなみに、アニメ映画を観てから、原作を観ました。

 

※下にいくほど、徐々にネタバレを含んでいきます。 

 

〜概観〜

  • たくさんの「??」を読み解きながら観るのが好きかどうかで、好みが分かれそうです。
  • 思春期男子の心情が基盤になっていそうなので、それに共感できるかどうかでも好みが分かれるかも、と思います。
  • 二人の恋の物語、というよりは、恋の中で成長する男の子の方に重きが置かれている気がしました。

 

 

Q:テンポ遅くて退屈って聞いたけど

読解:アニメで文学に挑戦しているのかも!

 

とにかく「説明しない」映画でした。何を思っているのか、なぜそんな行動を起こしたのか、何も説明されず進んでいく。それらの行間を読み解こうとあれこれ想像しながら観るための、ちょうどいいテンポを狙って作られているように感じました。

 

新房監督はインタビューで、「このままではアニメは生き残れないと思った」とも言っています。アニメってえてしてエンタメ感が求められるけど、文学へ領域を広げていこう、という挑戦心をこの作品から感じました。

 

 

Q:度重なるエロいシーン、意味あるの?

読解:なずなの「魔性」と、典道の「思春期」の表現なのでは。

 

登場人物は中学生(原作では小学生)。女の子は性に目覚め、男の子はそんな女の子に興味を抱きつつも、どうしていいか分からずモヤモヤ…という時期。

 

そんな中でも、なずなは特に垢抜け、男の子を惑わす魔性の女の子として描かれています。そんななずなに翻弄される典道の視点が、「エロいシーン」として表現されていると感じました。

 

モテキ」の大根監督が携わっているそうで、こういう色気の使い方と男子のドギマギ反応は、大根監督っぽいですね!

 

 

Q:祐介はなぜ、なずなの誘いをすっぽかしたのか

読解:デートとかそういうの初めてだったんだと思う。

  

ネット上では「祐介はサイコパス」なんて揶揄されてるそうですが、僕の印象は「ヘタレ童貞」ですね。中学生設定ですし。

 

同じ経験をした男性もいるかもですが、、、

思春期の時って、普段どんなにエロい話で盛り上がっていても、いざ初めてのデート、となると怖くて怖くてたまらないんですよね…。この祐介の気持ちはとっても分かりました。いざとなるとどうしていいか分からない。僕の初デートは高校時代だったのですが、女の子から突然人生初のデートに誘われて、ビビってデートの途中で逃げました…懺悔

 

そのあと典道に殴られたのも、この情けなさでなずなを傷つけたことを怒られたのだろうと思います。

こういった男子一同の「女の子への慣れてなさ」は、作品の柱でもありそうです。

 

 

Q:恋愛描写がないとこから、突然かけおち!?

読解:なずなにとっては背伸びした「家出」で、はじめは恋愛感情はなかったのではと推測。

 

なんの伏線もなく、ヒロインから突然の「かけおち」の誘い。ここは「!?」です。でも話が進むと、おそらく恋愛感情というよりは、家庭からの「脱出」が、なずなにとってのメインで、正直、相手は誰でもよかったのかな、と思えてきました。

 

母親のかけおちでこの町に引っ越してきて、また母親の恋愛都合で引っ越し。なら私もかけおちしちゃおうかな、くらいかなぁと。典道は、そこに偶然居合わせただけの男の子なのかもな、と。

 

この話には、転校前の女の子の気まぐれに翻弄される男の子、という側面もありそうです。

 

 

Q:ifの世界のルール

読解:「典道の想像し得る範囲内で」もしもを叶える世界。

 

ifの世界は、なずなを遠くに連れ去ろうとすればするほど、いびつな世界になっていきます。

きっと、典道の想像力がつくる世界なのでしょう。

典道は、なずなの「かけおち」を叶えたい。でも、この町の外でどう暮らすか、はっきりイメージできるほど大人じゃない。小さな町で育った中学生男子の想像力の限界を哀しく表現した演出のように感じました。

町にかかるドーム状の膜も、まるで2人を閉じ込める鳥かごのよう。

 

またこのいびつな世界の描き方、特にifの世界の花火には、「まどかマギカ」のシャフト×新房監督コンビの技が爆発していて、めちゃ燃えました。

 

風車などの逆回転ギミックも、if世界の違和感づくりに一役買っていますね。

 

このへんからネタバレやばそうです。

 

 

Q:海の上を走る電車のシーン

読解:ここが、典道の想像力の「果て」

 

ifの世界で、電車に乗って、誰にも見つからず、遠くへ。でも、遠くってどこ?

駅でなずなが語った「どこ行く?東京?大阪?」「暮らしていけるよ、水商売とか」などの言葉に、典道は戸惑うばかりでした。

「逃げた先」が何もイメージできないから、なにもない海の上を電車はひたすら走っていく。

ここが典道の想像力の限界で、ifの旅はここで終わり。

そんなシーンに感じられました。

 

 

Q:東京デートの映像

読解:典道が想像もしなかった、なずなの「もしも」

 

東京でデートする二人の映像、いかにも、田舎町で暮らすおませな中学生女子の欲求

 

突然の東京描写に映画館でびっくりしましたが、きっと典道もびっくりしたでしょう。今日までの典道の日々は田舎町で完結していて、東京デートなんて、想像したこともなかったはず。今までの映像とギャップがあるのも、典道となずなの思い描く世界のギャップを表しているように感じられました。

 

典道は驚きながら、「なずなはこんなことを望んでいたんだな」と悟ったはずです。

その中のひとつ、「お台場デートでキス」のカケラを見て、典道はおそるおそるなずなにキスをします。典道がようやく、女の子の気持ちにちょっとだけ手が届いた瞬間だと感じました。

 

 

Q:解釈が分かれる、あざといラスト

読解:うわ〜!答えが出ないように作られている〜!と思いました。

 

先生が出欠をとる。なずなは席にいない。典道は呼ばれても返事をしない。

・典道はそこにいるのか?いないのか?

・これは現実なのか?ifの世界なのか?

・花火の日なのか?二学期なのか?

多くの問いが見た人に委ねられていて、見た人によって読み取り方がまったく違うのではないかな、と。

 

これは現実の二学期で、典道は教室にいるけれども、典道の心は、なずなのいる「もしも」の世界に閉じこもったまま、というのが僕の印象でしたが、どうでしょうか?

 

 

Q:ifの世界のなずなは、本物?偽物?

読解:偽物だと予想。

 

ifの世界を繰り返すほど、世界は不安定になる。その一方で、典道となずなは近づいていきます。ifの旅の終わりになずなが放つ、「次会うのは、どんな世界かな」というセリフ。

ifの世界での再会を前提とするかのようなセリフに、やはり彼女はこの世界の住人なのでは、という気がぬぐえませんでした。

 

このセリフ、僕は「大人になって、君の世界が広がったら、また私を思い出して」と解釈しました。

典道は何歳になっても、この日のことを思い出しながら生きていくのかもしれない、と思うと、切ないですね。。。

 

 

Q:結局、この映画のテーマはなんだったのか

読解:ある夏の1日、思春期の男の子が、女の子の気持ちをちょっとだけ理解するまでの、想像力の冒険譚。

 

女の子って、分からない。

でも、あの時ああしていれば、うまくいったのかな、という後悔を繰り返して、男の子は女の子のことをちょっとだけ理解する。そんな誰もがたどる恋愛のはじめの一歩を、「繰り返すifの世界」というモチーフで壮大に描いた映画だと思いました。

 

また、登場人物たちの生きる世界の狭さも印象的。小さな田舎町ひとつだけ。しかも1日も進まない。

ifの玉で叶えることも、小さなことばかり。でもそれが今の彼らの精一杯。

超能力を使ってなお、町から出ることすらできない、この子供の無力感も、自分の幼少時代と重なる、大事なテーマに思えました。

 

 

Q:唐突?歌のシーン

読解:二人で逃げていることへの、愉悦…なのか…?

 

多くの方が「唐突に歌い出したw」とコメントしてますが、僕もここは若干唐突に思ってしまいました…

二人で電車に乗って逃げて、二人きりの車内で女の子が歌い出す。

広がる王子と姫のようなイメージは、この状況に酔っている、という演出なのかな?と考えて、頑張って観ていました。

 

 

Q:なずなの父親、玉持ってる件

読解:この世界が、なずなの両親が作ったifの世界説

 

なずなの父親の死のシーンで、父親が持っていたifの玉らしきもの。

ここも、余白が大きくて意見が分かれそうなところです。

・なずなの両親のかけおちに使われたのか?

・だとすると、この世界は最初からすでにifの世界なのか?

・典道は同じように死んだのか?

典道が死んだとは考えたくない…

この田舎町が実は両親が作ったifの世界なのでは?という風に僕は考えていますが、どうでしょうか。

 

 

Q:あれ、これ花火をどっから見るかって関係な(ry

読解:原作のドラマシリーズのタイトルのつけ方に起因しているようです。

 

1993年に、「if〜もしも〜」という一話完結のドラマシリーズが放送されていました。それぞれの話に「結婚するなら金持ちの女かなじみの女か」「彼女がすわるのは左のイスか右のイスか」というタイトルのつけ方がされていて、その流れを汲んで、このタイトルになったみたいです。

 

原作ではタイムリープは一回だけで、花火大会を友人と過ごすルートの前半(横から見る)、なずなと過ごすルートの後半(下から見る)で構成されています。

 

花火大会を誰と過ごすか?という問いを、どこから見るか?にすり替える監督のセンス、僕はとっても好きです!

 

 

Q:打ち上げ花火、原作でも見るか?

読解:今作のようなSFではなく、もっともっと現実に忠実な、ささいな1日に込められた男の子の心の動きを追った話でした!

 

アニメ映画を観てから原作のドラマ版を観ました。セリフやカメラワークなど、思ったよりもずっと原作に忠実だったようで驚きました。

 

ifの玉や歪む世界などは、原作には出てきません。一度のタイムリープ以外は、とても現実感があり、その中でなずなの艶っぽさが非日常的に光る、ドラマならではの仕立てになっています。アニメ版よりも、なずなというヒロインが中心に描かれているように感じました。

原作のラストのなずなのセリフも、切なくてとってもいいです!ぜひ観てみてください!

 

この原作の根っこを流れる少年の葛藤はそのままに、2時間尺のアニメならではの冒険譚に仕立て、実写では描けなかった「平べったい花火」まできっちり活かし切った製作陣には、もう感動しかありません。すごい!

 

 

おわりに

夏のアニメ映画に恋愛と冒険はつきもの。

でも、こんなにも未熟な恋愛、こんなにも小規模な冒険を描いた作品は、なかったんじゃないかな、と思いました。

その等身大さが型破りなので、「君の名は」みたいなアニメを想像して見ると「!?」と思うかもしれません。でも、隕石を止めるような壮大さはないけど、このくらい無知で無力な、小さな世界で精一杯生きている子供たちの方が、僕らの子供時代には近いかもなぁと。

そういう意味で、今までの夏のアニメ映画とは一線を画す作品かもしれませんね!

 

こんな駄長文をここまで読んでくださる方はいるのでしょうか。もしいたなら、ありがとうございます。

好き、嫌いも含め、解釈がとっても分かれる映画のようです。よろしければ、どこかで語りましょう!

thank you!